知るかぎりの宝石の名を
02
 角砂糖を二つおとしたミルクティはさすがに失敗だったと思う。珈琲にしておけばよかった、と後悔しながら目の前で必死に課題を片付ける男をちらりと盗み見る。
 自分より遥かに強い太刀川慶という男は、どういうわけか私生活に関しては彼の師匠が匙を投げたくなるほどにだめだめらしい。だが真面目な彼の師匠は本当に投げることはなく、そのかわり「自分は忙しいから」と彼の面倒をどういうわけか私に押し付けてきた。「同い年だろう、頼めないか?」といった忍田さんに自分の幼馴染に頼むよう言いたかったが、あれはあれで忙しそうに隊長業をこなしているようだったので、彼の部下として気を遣い太刀川の面倒を見る。
 同い年にして気分は彼の母親だ。隙を見ては課題の手を止める太刀川に「早く終わらせませんか?」と笑みを向ける回数は既に片手では足らなくなっている。十七歳の子を持つ十七歳。非常に頭が痛い。
 どうしてこんな人が個人ランク一位なのだろうかと常々思う。だが幼馴染曰く「太刀川は興味のあることにしか頭が働かない」らしいので、つまりは日常生活などというつまらないものよりも戦いを好むということだろう。それに関しては私も同意見なので何も言えなくなってしまう。
 けれど、勉強は必要だろう。この成績では原級しかねない。むしろよく二年生になれたものだと逆に感心してしまうほどだ。

「太刀川くん、ここスペル違う」
「えー……っと、ん? まいんなんだからmainでいいだろう」
「mineよ……ねえ、これ中学生レベルなんだけど……」

 平仮名を読むような発音にも呆れるが、それ以上に初歩の初歩で躓いている太刀川に呆れを通り越してかわいそうになってきた。
 甘ったるいミルクティでのどを潤すと、頬杖を突き「あのさぁ」と口を開く。

「太刀川くんって、どうやって高校受かったの? 裏工作でもした?」
「精神的に攻める作戦に出ても俺は伸びないぞー」

 作戦でもなんでもない、純粋な疑問である。だが、はははと乾いた笑みを漏らす太刀川に作戦ということにした方がよさそうな気がした。
 本当に、どうして、この男がA級一位なのだろうか。不思議で仕方がない。
 実力があるのは認める。この言い方じゃあ上から目線すぎるか。実力があるのはわかっていると言葉を訂正しよう。
 私はシューターとなってほんの数か月ではあるが、マスターランクを取ってしまったことがどれだけすごいのか師匠となった幼馴染の男が初めて引いたのをみて、わかる。もちろんそれを鼻にかけるような見っとも無い真似はしない。どうすればより動けるのか、サイドエフェクトでわかってしまったからだ。種明かしをしてしまえば実にくだらない。

 そんな私が、大嫌いなサイドエフェクトを駆使し、またこれまた嫌いなイーグレットも使い太刀川に挑んだところ、無様とまではいかないが呆気なく負けてしまったのだから。

 楽しかったと笑う太刀川に私は殺意を感じるかと思いきや、どういうわけか何とも言えぬ昂揚感で満たされ、久方ぶりに大声を上げて笑ってしまった。目を丸くし「気でも狂ったか」と言いのけた幼馴染にはサイドエフェクトを活用し履いていた靴を投げつけ、見事額に当たり首をのけぞらせた姿を見て笑いが止まらなくなった。ついには横隔膜が攣りそうになるほど笑い、どうにかそれを抑え私は晴れやかに太刀川へ手を伸ばした。

「楽しかった、また対戦してもらえないかしら?」

 その言葉に太刀川は「もちろんだ」と私の手を握った。
 いかに私が井の中の蛙で、くだらないことを悩んでいたのか気付かせてくれた太刀川には感謝している。サイドエフェクトだって列記とした自分の実力で、それを疎ましがることなんてないんだと、ようやく気付けた。

 だが、ここまで日常生活が駄目すぎるとその感謝がかき消されてしまいそうで非常にしょっぱい気持ちになってくる。
 その気持ちをかき消すべく、冷めてきたミルクティを呷ればひどく甘さだけが口に残った。

 だが、世界がそれだけでないことを私は知っている。
20151012 ... 知るかぎりの宝石の名を 《title:as far as I know / 黄道十二宮》