この世界に神がいるとしたら、その存在はひどく残酷なものであると、常々私は考える。
換装体に身を包み、はコツリコツリと響く足音を気にせず、ひどくゆっくりとした歩調で男のそばへ向かう。だが、声をかけるよりも早くに男はの存在に気づき、視線をこちらへと向けた。その表情は普段換装しているときに浮かべているような好戦的なものとは打って変わり、まるで抜け殻のようだなと梓は思った。
「どんな感じ?」
曖昧な問いかけではあったが、この状況下においてはすぐに意味は分かる。
太刀川は「どうもこうもねえよ」と冷たく言い放つと、すっとから目を逸らし、梓が尋ねた言葉の答えを持っているものをじっと見つめる。
そっか、と梓は短く返すと太刀川のすぐ隣で壁に寄りかかり同じ方を向く。
黒トリガー、《風刃》
最上宗一という男のなれの果てであるそれは、現在行われる争奪戦の勝者の手に渡るべく、高みの見物をしていた。
「ひどいひと」
その呟きは、現在戦闘中の最上の弟子には届かなかったが、隣の男にはあっさりと届いてしまう。それが狙いだったと言えばそうなのであるが、届かなければ自分も戦いに向かうつもりであったために、あてがはずれたとは肩を竦める。
もっとも、争奪戦に参加したところでは《風刃》を手中に収めるつもりはさらさらない。
あんな『使い辛い』もの、誰が好き好んで手に入れなければならないのだろうか。
起動ができるというだけで、なぜ、
「あんなものを手にしたいと思うのかしら?」
口にした言葉同士は繋がっているようにも思える。深くこの場を、最上という男やその弟子、そしてを知らぬものからしたら、彼女の言葉は迅悠一という男へ向けた軽蔑の言葉としてとらえただろう。
だが、隣の男は最上も迅も、のこともよく知っていた。
前者の二人を、知りすぎていた。
「俺に、そんなこと聞くなよ」
「聞いたつもりはないわ。ただ、独り言をつぶやいただけ」
ジロリと横目でにらみつけてくる太刀川へ顔を向け、にっこりと笑みを浮かべる。
「あぁそうかよ。でも、その答えならお前はよくわかっているんじゃないのか?」
「何でもかんでもサイドエフェクトを使っているだなんて思わないで。あと、苛立っているのはわかるけど私に八つ当たりしないでちょうだい」
今度は打って変わり梓が太刀川を睨みつける。一触即発といった空気が二人の間に流れた途端、何かに気が付いたようにが長い髪を揺らしこちらへ来たとき同様ゆっくりとその場から二、三歩離れた位置へ移動した。太刀川はその意味が分からなかったが、持ち前の戦闘の勘で何かに気付く。
直後、ヒュッと音を立てて二人に向かって欠けた刃が飛んできた。
「ったく、迅の奴……」
「戦いの邪魔をせず、見ていろ……ってところかしらね」
戦闘中の誰かが、メテオラを放ったようで爆風が二人の元まで届いた。戦うつもりがないのにステージに入るなと責任者より言われたことを思い出しながら、は風でぶわりと舞い上がった髪を押さえながら壁際まで下がり、防御する気がないのかそのまま壁に身を預けている太刀川の分も含め二人分のシールドを展開する。
接近戦闘を行っているときにメテオラなんて放てば自分だって危ないだろうに、風刃発動候補者はそれさえも覚悟で他者の、もっと言えば最有力候補であろう迅の排除にかかった。
だが、そんな攻撃で止まるほど、迅悠一は甘くない。
梓の直感は読み漏らしたが、彼の予知は攻撃を予期していたようで、候補者がメテオラを放つよりも先に他者を薙ぎ倒しその者達を盾としていた。
そのやり方に候補者たちは口ぐちに「そこまでやるかふつう!?」「えげつねぇ」と不満のこもった声を漏らす。
それには太刀川は眉を顰め、梓は展開していたシールドを解除するなり右手をすっと前に向けた。
「あれのどこが悪いんだ」
「それが分からないやつらは、その程度ってことでしょう」
言い終えるが早いか、の手には黒い銃身・イーグレットが握られていた。それを構え狙いを定めると、二度ばかり立て続けに弾丸を放ち、先程声を上げた、二人の候補者をベイルアウトさせた。
完全にが傍観者だと思っていたであろう候補者たちは驚き数名が意識を彼女へ向けたが、その瞬間に迅の鋭いスコーピオンの刃を突き立てる。
「さん」
怒鳴るような、それでいて弱っているようにも聞こえる声が響く。
―――邪魔しないでくれ
そう、言っているようにも、聞こえる。はハッと鼻で笑うと、イーグレットを再び構えた。
「あんなやつらに時間かけているお前が悪い。私にとられたくなかったら、早く終わらせろ」
とられたくなかったら
その言葉が《風刃》に向いたものであると思ったものがほとんどだったが、実際は違う。
―――お前の得物を、とられたくなかったら
何人が、の心意に気付くだろうか。
分からないなりにも、候補者たちはその言葉に目を剥いた。それでは、これからは迅の攻撃に加えの狙撃にも注意を払わなければならないということではないか、と。それなら先に彼女を、という考えの者は、その瞬間に頭を吹き飛ばされベイルアウト。
の直感力を、サイドエフェクトを甘く見るなかれ。そんな考え、すぐに見抜いて見せる。
「その程度の考えで、風刃をとろうと考えるだなんて、ほんと、わらえてくる」
そんなことを言いながらもの表情はちっとも面白くなどなさそうで、「くだらない」と吐き捨ててもおかしくないだろうなと太刀川はその横顔を見つめる。
「風刃が欲しいなら、私なんかよりも迅を、それこそ死ぬ気で倒すべきだろう。そんなこともわからないやつは、全て私が殺してあげる」
その囁きは候補者たちへは届かない。だが、きっと独り言ではない。太刀川は目を瞑りから目を逸らした。
「本当に、ひどいひと。なんであんな人たちにも起動できるのかしら。なんで、命を背負うことのできない人にも、起動できるのかしら。……これじゃあ、迅が報われないじゃない」
の手からイーグレットが消えた。その手を右耳へ持っていくと今はない黒いイヤリングを想い、耳を押さえる。
「自分の大切なものの命を他者へ奪われるくらいなら、えげつなかろうと、卑怯だろうとも、奪おうとするものを殺すのが、当り前なんじゃないの?」
「泣くなよ」
「泣いてないわよ。トリオン体馬鹿にしてんの?」
「だったらそんな顔するな。これは迅の問題であってお前が口を出していいことではないだろ」
にゅっと伸びてきた手がの頭を掴むと、優しさも何もない手つきで頭を振る。そこはせめて撫でろよと思ったが、太刀川なりの思いやりなのだろうと直感するまでもなく気付き、あきらめされるがまま頭を揺らす。
「それに、あんな雑魚が、俺のライバルに勝てると思っているのか?」
太刀川の言葉には目を見開く。途端に手が離れたので彼の方を向けば、なんとも凶暴そうに嗤う太刀川の顔が目に飛び込んできた。
それもそうねとは肩を竦める。
ほんと、無駄なことをしに来ちゃったわね。
直後、二人を除いてすべての候補者が倒れる。
一人は風刃となった最上の弟子・迅悠一。
もう一人は、。
後者は既に別の黒トリガーを手にしており、正確には候補者にはなりえなかったため、自動的に風刃は迅の手へと渡った。