「私、基本的に快楽主義者なの」

 財布から札が消えた、という太刀川に同情と呆れを感じながら連れてきた本部内に併設されているカフェテリアで、の財布を食いつぶす勢いでホットサンドを食べる太刀川にぽつりと告げる。どうして自分がそんなことを口走ったのかはわからないが、おそらくは彼が何をするにしても楽しそうで、嬉しそうで、にはまぶしく見えたから、だと思う。人は自分にないものに憧れる、と以前何かで読んだ気がするが、それは正しいのかもしれない。こんなにも自分と違う彼。だからこそ惹かれたのかしらね、と肩を竦め彼がまだ手を付けていないホットサンド一つに手を伸ばす。別に腹がすいているわけではなかったが自分のおごりでここまで食べられると清々しさと同時にむかつきを感じた。
 とは逆に太刀川は食べる手を止めると、「どういう意味だ?」と首をかしげた。もちろん彼が言葉の意味を尋ねているわけでないことはわかっている。答えるため口を開こうともぐもぐと咀嚼し、飲み込む。大学近くの喫茶店よりも安価であるにも関わらず抜群に味が良いのは、訓練後のつかれたからだであることと、ボーダー隊員である食べ盛りの男子高校生がよく使用するためだろう。

「何事もさ、楽しくなきゃつまらないでしょう。つまらない、辛い、苦しいばかりの人生なんて退屈なだけ。そりゃあスパイスとしてそれらは必要でしょうけど、それ以上に私は楽しいことが好き」
「…………あぁ、そういうことか」

 彼と自分の付き合いはボーダー入隊後からのものであるためそれほど長くはないが、同じ大学に通う『同級生』という立場も相まって彼は自分のことをよくわかってくれている。自分に好意を寄せているであろう大学の男どもはほとんどが知ったかぶりで自分を語るためどうにも好きになれないが、彼はそんなことはなく、知らない部分は知らないとして彼自身のイメージでを語ることはない。太刀川の言った納得の言葉はおそらく正しいだろう。
 誰の目があるわけでもない。見ているのはこのおとこだけ、とが大口を開けてホットサンドに齧り付いたところで太刀川が再び口を開いた。

「お前がスナイパーをやめて、アタッカーに転向したわけがそれってか」

 正確にはオールラウンダーよ、という言葉は飲み込む。別に言う必要のない言葉だ。それにもっと正しく言うならばはパーフェクトオールラウンダーである。
 先程の訓練の際、隊で模擬戦を行ったのだが、当真がどうしても学校を抜けられないとのことで代理として遠距離戦を担った。もちろん本来の自分の得物である弧月とバイパーで戦うことも考えたが、人数的に負けている状況で工作兵である冬島を放って挑めばあっという間に黒星がついてしまうだろう。A級一位とはそういう隊だ。そのため、より勝率の高い方を取るべく久方ぶりにイーグレットを手に取った。使っていない期間は長かったが、驚くほどしっくり手に馴染むそれは、「やはりお前にはスナイパーがお似合いだ」と嘲笑っているように感じてしまい、地面にたたきつけたくなってしまった。
 という女は、非常に負けず嫌いである。そんなことは自身が一番よくわかっていたため、ギュッと手に力を籠め、イーグレットで狙いを定めた。

 そのあとのことを思い出し、重苦しい溜息を吐きそうになりながらもそれをどうにか飲み込み、代わりの言葉を発する。

「私の副作用、知っているでしょう」
「直感力……だったか。正直ボーダーだのトリオンだのがなければ胡散臭いとしか思えないアレ」
「一言余計、と言いたいところだけど私もそう思うから何も言わないであげる」
「そりゃどうも」

 肩を竦めおどけたように礼ととっていいのか怪しい言葉を吐く男の足をヒールで踏みつけてやれば、小さく顔をしかめながらもどうにか堪え新たなホットサンドに手を伸ばした。
 まったく、と思いながらも自分の手にある残り半分となったホットサンドを勢いづけて食べ、ぬるくなり始めている珈琲で唇を湿らせる。人目を気にせず齧り付いたために真っ赤だったルージュが落ちかかっているのが白いカップ薄くうつったことでわかった。それをじっと見つめると、独り言を囁くようには太刀川に語りかける。

「遠距離時代の師匠である東さんや、理論派の奈良坂には怒られそうだけど、このあたりに撃てば当たるだろう……ていうのが、直感でわかっちゃうのよね。まぁ、うちの隊のスナイパー様は感覚派だから何も言わないだろうけど」
「それで?」
「つまんないのよね。当たるも当たらないもわかってしまうって。そりゃあ副作用は使って、活用してこそのものだってのはわかっている。けど、自分の実力以上に副作用の力で力を伸ばすなんて、本当につまらない」

 もちろん、遠距離から敵を散らすのはとてもたのしい。だけど、どうせ敵を散らすのならば、勘に頼らず自分の腕で勝負をしたいというのがの想い。戦闘狂と言われようともそれは変わらない。だからあの時、「このあたりかしら」と当たりを付け、距離にして1000m程、障害物も多くありNo.1スナイパー様にも「ありえない」「気色悪い」と言われるであろう対象、またの名を太刀川慶の左腕を打ち抜いたとき、低く唸ってしまった。なんで当たるのよ、と。

「でも快楽主義ってのは少し違うんじゃないか? それじゃあただの実力主義だろう」
「たしかに。だけどさ、イーグレットを使ったほうが戦果を挙げられるにも拘わらず、つまらないという理由だけでそれを使わないのは快楽主義だからともいえるんじゃなくって?」

 珈琲を呷り太刀川のカップを覗き込むとどうやら空のようで、「お代りは?」と尋ねれば珍しく遠慮の言葉が返ってくる。ここまで来たらいくらでもおごってやるのに、と思いつつも彼がいらないのならばわざわざ自分の分を持ってくるのも面倒なのでそのままカップを静かに置く。薄らうつったルージュを親指でなぞれば、唇の形をしていたそれはぐにゃりと歪む。まるで自分のようだ。ゆっくりと、静かに息を吐けば、何かを考え込んでいたような太刀川が口を開いた。

「どうして快楽主義とポジションをからめた話をするのか分かんねえけど、人生楽しい方がいいってのは同感だ。だから、どうしてお前がたまにどう考えてもつらい道を進もうとするのか、意味が分からん」

 気付かれていたのか、とは平然を装いながらも内心驚く。
 さて、どうこたえようか。「スパイスとして必要だから」「自分はつらいだなんて思っていない」どちらも嘘くさく思えてしまう。だが、正直理由なんてない。しいて言うならば、「楽しいから」だろうか。

 ほぼ全員が楽しいと思う道も、つまらないと思う人間だっているのよ

そう答えたら、太刀川はどんな表情をみせるだろうか? それはわからないけど、こんなことを考えてしまう自分がとても歪んでいるにんげんだということはよくわかってしまう。
自分にとって光ともいえる彼にそれを告げるのはどうしても憚られてしまい、は曖昧に笑う。
20151011 ... 正しさばかりが世界でない
だからといって歪みに身を投じていいわけではない