「あれ、太刀川じゃん。珍しいね」

 という馴れ馴れしすぎずも他人行儀でもない声に顔をあげれば、やはりというかなんというかそこには本部ではよく見慣れた顔があった。

「この講義とってたっけ?」
「一応な。あんまり受けに来ていなかったから。こそとっていたんだな」
「まあね」

 の誰とも壁を作らない雰囲気からか、という名字よりも皆馴れ馴れしく呼ぶ彼女の名。自身そのことに慣れきっているようで、俺がその名を口にしたことにたいして不思議そうにすることもなければ照れる様子もない。当たり前のこととして受け入れている。それを彼女に告げればきっと面白がって「じゃあ私も下の名前で呼ぼうか?」なんて言い出し兼ねないので余計なことは言わない。
 ふと考えに耽っていた思考を彼女に戻せば、どうやら断りなし俺の座る席から一つあけたところに腰を下ろしていた。この距離感もちょうどいい。
 ちらちらと俺の隣――正確には俺の隣の隣、だが――に座るに集まる視線はどれも情熱的なもので、それに気付いてか気付かずか、だが案外性格の悪い彼女は気付いているのだろう、俺の方を向いて「忍田さんに怒られた?」と尋ねてきた。どうして突然忍田さんの名が出るのかわからなかったわけではない。肩を竦め「いい加減まともな成績をとれだと」と返す。この講義にでているのはあの堅い師匠に自分の成績の悪さについて説教を頂いたからだ。予想が当たったことにたいしてなのかはたまた周りへの当て付けか、整った顔を綻ばせて「そっかあ、やっぱり」と笑った。

「やっぱりってなんだよ」
「だって私、任務のない日はこの講義受けているのに、一度も太刀川のことみたことなかったのよ。本当はこの講義の単位取る気なかったんじゃない? それなのにここにいるってことは、忍田さん辺りになにか言われて……とか?」
「お見事」

 両手を上げ、降参とでも言うように告げてやれば何が面白かったのかクスクスと口元を抑え笑う。
 だがそんな彼女の笑い声はどうにも彼女らしくなくて、普段ボーダー本部で見せるケタケタという笑い声は何処に飛んでいったんだと尋ねたくなった。がどうせ周りの目を気にしてのことだろうと検討付けその疑問を飲み込む。
 性格の悪いひとだ。

「でも今更来たところで日数足りてないんじゃない?」
「まったく受けてなかった訳じゃないさ。ちなみに俺はがこの講義を受けていることを知らなかった」

 ヒントのようにそう告げてやれば「なるほどね」と納得したように頷いた。なんともタイミングの良いことにが講義を受けているとき俺はサボり、逆に彼女が受けていない時に俺が講義を受けていたらしい。他の講義は一緒になることが多かったためにこのような偶然に思わず笑ってしまう。

 それにしてもなかなか始まらない講義だな、とは講義の開始予定時刻を十分ほど過ぎてから気付いた。前に受講したときはそんなことはなかったようなとにその旨を尋ねれば「確かにおかしいね」と首を傾げた。
 なんとも小洒落た腕時計に目をやる姿は、到底空を駆け敵を薙ぎ倒すA級隊員とは思えない。人は見かけによらぬものだ、と想いに耽れば、視界が突然かげった。いきなりなんだ?とその原因を作った同級生を見れば、「休講らしいぜ」となんとも親切に教えてくれた。視線は俺の方を向いていても意識がの方を向いていることは容易にわかったが、あえてそれに気付かぬふりをして「助かった」と笑みを浮かべる。そして自分達の話を聞いていません、というなんとも俺からしたら分かりやすい態度をとるの肩を軽く叩き「休講だってよ」と教えてやる。聞こえているに決まっているが、どうもこいつは先程から俺を虫除けに使っているようにしか見えないので付き合ってやろうと思う。誰とも壁を作らない、というのは自分に男女の仲という意味で好意を持っていないものに対してだけで、そういう想いに敏感な彼女。だが険悪な態度をとるわけでないので本人にそうと悟らせず想いを断ち切らせる。どうやら今回はそんなやり取りをするのが面倒らしい。その分俺にかかった労力に関してはあとからランク戦に付き合わせればいいだけのこと。きっともそう考えているのだろう。こいつもなんだかんだ言いながら戦闘狂の気があるから。
 水月はとろけるような笑みを浮かべると、実に嬉しそうな声で小さく「やった」と呟いた。

「実は課題が終わっていなかったのよね」
「忍田さんになんか言われるぞー」
「太刀川じゃないから大丈夫よ、私真面目だもの」

 ふふん、と口に出しそうなほど自信たっぷりの笑みを浮かべると彼女はバッグに荷物を詰め込み始めた。それに倣い俺も出していたテキストをカバンに詰めれば、「太刀川あのよう」とすっかり存在を忘れていた同級生が声をかけてきた。
 一瞬。が面倒くさそうに眉をピクリと動かしたように見えた。だがこの男は気付いていない。そのまま口を開いた。

「このあとみんなで飯でも行かねえか。ボーダーの話聞きたいってやついっぱいいるんだけど」
「あー……別に面白い話なんてないけどなあ」
「面白い面白くないは俺らが決めるって! その、さんも、どうかな?」

 俺はおまけで本命がということがありありとわかる態度に溜め息が漏れそうになった。
 さて、彼女はなんと返すか。
 それが気になった、というよりももし時間があるならば俺とランク戦でもしてくれねえかなという願望からを見れば、呆れたような視線をこちらに向けてから――考えを読まれたような気がするのは間違いではないだろう――、誘ってきた男の方に向き直る。いかにもな作り笑いはどこか冷たい刃のようにも見えて、決して俺はマゾヒストというわけではないが一度向けられてもいいかもしれない、だなんて思ってしまうほどに鋭く美しかった。だがそれは見るものが見れば、の感想。きっとこの男は分からないのだろうなと思っていれば、本当にわからなかったらしい。彼女の笑みが作ったものであることすら。笑みを向けられただけで彼女の返事が色よいものであると思っている。
 現金なやつだ、と思っていれば。

「ごめんなさい、これからデートの約束があるのよ」

 これは随分と思いきった嘘をつくものだ。に浮わついた話がないというのはボーダー内では有名な話のため俺にはすぐに嘘とわかった。いや正確には女とよろしくやっているという噂はたっているが、本人の性癖は至ってノーマル。のはず。……それはひとまず置いておこうか。
 ショックを受けた様子の男に心のなかで御愁傷様と言い、そのままばれぬようフェードアウトできないものか、と考えていれば、どういうわけか「せっかく時間ができたんだもの、ね」と俺の腕をとるの姿。どうやら俺の役目はそこにいるだけの虫除けではすまないらしい。やれやれと小さく肩をすくめ「それもそうだな」と話を合わせる。
 本当に、性格の悪いひとだ。
 こちらに来た男を、というかを待っていたらしい男たちは揃って俺の方を見て驚愕を露にする。そりゃそうだろうな。俺も正直同じ表情を取りたい。だがそんなことをすれば奴等の知らないのおっかない部分が出てくるに決まっているのでぐっと抑える。うわべだけ見て憧れるのも考えものだぞ、と内心ひとりごちながら。



 大学内にあるカフェにに連れてこられ「奢ってあげる」と言われたのはほんの数分前。早さが売りの味はそれなりのカフェは忙しい学生に人気で、それなりに人で込み合っていたが、ボーダー関係だろうと思われたのか俺とが一緒にいるからといって奇異の視線を浴びせられることはなかった。先程の講義室にいた面々はカフェにいなかったし当たり前と言えば当たり前。
 時間短縮や人件費削減のためか、先に料金を支払い品物を受けとるシステムの店のため、奢ってやるという宣言通り支払いと品物の受け取りを済ませたが俺のとっていた席にゆっくり歩いてきた。

「お待たせ」
「おーありがとさん」

 彼女がどういう意図で奢ると言ったのかがわかるだけに遠慮もなにもない。
 ただ自信のこの遠慮のなさはどうかと思う。小声ではあるが「煙草吸いてぇな……」というのはどういうものなのだろうか。

「お前人前では吸わねえって言ってたじゃん」
「もちろん吸わないよ? けど吸いたい」
「お前のその外面いつ見てもなれねえわ。つーかその外面に俺加えられた感じ? 俺たちいつから付き合ってんのよ」
「わあいいらっしゃい」

 小さく拍手をする彼女はどうも機嫌がだいぶ良くなったらしい。にこにこ笑いながら珈琲に口をつける。

「まあ別にデートって言ったぐらいでそこまでは考えないんじゃない?」
「…………ま、俺は別に構いませんけどね」

 せっかくの珈琲が冷める前に戴くことにした。不味くはないが特別旨くもない珈琲が喉を伝い胃に落ちる。少し浮かれていた気分が苦味によって落ち着いた、ような気がした。つまりはそうと悟られぬよう細心の注意は払っているが、を誘おうとし驚愕を顕にした男たちと同じ感情を俺も彼女に向けていて。少しばかり彼女の言った言葉に落胆していた。
 まったくもって面倒な相手に好意を抱いてしまったものだ、と自分自身にあきれる。だが、その後紡がれた彼女の言葉で気持ちが上昇してしまうのだから、俺もひとのことをいえないくらい現金なやつだと思う。

「私だって構わなくなかったらあんなこと言わないわよ」



 先に心地よい距離感を狭めたのはお前の方だ、と言ったら、はどんな反応を示すだろうか。
 口許の緩みを隠すようにカップに口をつければ、苦いばかりの珈琲に甘味を感じる。そんな気がしたのは果たして気のせいか否か。
20150909 … 星と星とを繋ぐのは 《title:as far as I know / 黄道十二宮》
 六月ころから書いていた話をようやく。とりあえず太刀川さんの口調がいまいちわからん。