ノックもなしに突然開いた扉。昔だったら即短剣を投げつけていただろうなぁと過去を懐かしみながら、しかし一言はいわなくてはと机の正面を向いていた体を音の方向へと向けた。
 ようと片手をあげ、気安い笑みを浮かべるクロウに形だけのため息を。彼はそれだけで私の言わんとしていることがわかったようで「おっと」とかとってつけたようにいい、開いている扉を軽くコンコンと叩いた。これには形だけでない本気のため息がこぼれてしまった。

「おいおいなんだよ、ちゃんとノックしただろ」
「普通ノックって部屋に入る前にするものだから。私が着替えてるとこだったらどうするのよ」
「お、ラッキー、て言ってそのまま居座る」

 机の上の辞書を思い切り投げつけてやれば、クロウは慣れた様子で軽く辞書をキャッチしてしまった。顔を顰めながら「お帰りはそちらですよ」とクロウを――正確にはその後ろの出入り口――を指させば、「悪かったって」と笑いながら部屋に入ってきてしまった。
 私のもとへ近づくと頭上から手元を覗き込み「何やってたんだ?」と尋ねる。その図々しさに小さく肩を竦め、その時点で作業を諦めた。クロウの手の辞書を受け取りながら短く答えてやる。

「予習」
「うへぇ……真面目なことで」
「クロウもやっておいたら? 本当にもう一回一年生やることになるかもよ」
「名前と一緒ならそれも悪くないかもな」

 その返しに絶句してしまう。だめだこの男早く何とかしないと。
 先輩であるはずのクロウがZ組に編入してから早くも数週間。もとより人との距離を埋めるのがうまそうなこの男は、元からクラスの一員だったかの様にZ組に馴染んでいた。だが馴染んだからと言って留年してもいいということにはならない。ずきずきと痛むこめかみを押さえていれば「おい大丈夫か?」とクロウが私の頭にそっと手を乗せた。だがわかっている。この男、声が笑っている。絶対心配なんてしていない! むしろ面白がっているに決まってる!!

「私ほんとに貴方と同い年なんて信じらんないわ……」
「そういやそうだったな」

 何とも気楽な一言である。こめかみをもんでいれば、クロウは笑いながらポンポンと軽い調子で頭を撫でてきた。

「ま、何とかなるだろ。そのためにZ組に合流したんだし」
「サラ教官に土下座したんだって?」
「……サラが言ったのか?」
「うん」

 導力カメラで撮影しておけばよかった、と言っていたことは黙っておいた方がいいのかもしれない。手の動きを止めて顔を引き攣らせるクロウを見てそっと心に決める。

「卒業してからのこととか考えてないわけ?」
「……あー、まあ」

 何とも歯切れの悪い声に天を仰いでしまう。その際クロウの手は頭から離れたが、彼はそれを戻そうとはしなかった。
 その代わりに、「名前は何か考えてんのか?」と聞かれた。話の流れ的にも聞かれておかしくはなかったというのに、私はその答えを用意していなかった。これじゃあクロウと変わらない。思わず顔を逸らしてしまえば、それですぐにわかってしまったようで「一緒じゃねぇか」と笑われてしまった。何とも気まずい思いをしながら、そこでどうしてクロウがこんな遅くに私の部屋を訪れたのかが気になった。その疑問を口にすれば、クロウは「話をごまかすなって」と笑いながらも、「顔が見たくなった」と答えてくれた。その返答には呆れてしまう。

「さっきもあったばかりじゃない」
「夕飯の時は別だろ。みんないたんだし」

 そう告げるなりいたずらっ子のような笑みを浮かべ顔を近づけてきた。そんな風に言われてしまっては「あぁそう」とは簡単にはこたえられない。それがわかっての言葉のようにも思えるのでやっぱりこの男には呆れてしまう。
 吐きかけたため息はクロウに飲み込まれてしまい、私は心の中にそれをとどめた。

 結局私たちは将来のことなど話せないのだ。先が見えないからでなく、互いの事情から、打ち明けることができない。それがわかったのはお終いのカウントダウンが始まった後で、その時にはすでにどうにもならない状況だった。残念だね。でも仕方ないね。そうとしか言えないのが私たちだ。どうすれば良かったんだろうねなどとは間違っても言えない。言えないのが、私たちなんだ。
20160813 ... たゆたう 《title:OSG
 安定の暗さに加えて山も落ちも意味もない。