恐ろしいほど輝く月。恐ろしい、怖い、そんな風に思いながらも、近づきたいなどと考えてしまう自分がいて。月に向かって手を伸ばし、夜空を泳ぐ自分をどこか客観的な視点で見つめる自分。そんなに泳いだって届くわけないよ。それより先に落ちちゃうって。先が見えているかの様に、客観的な私は必死に私へアドバイスするが、残念なことにその声は届かない。自分から自分への声だというのに、どうして届かないの。届いて。お願い、声よ、届いて。
―――なんだか、昔の私を見ているみたいだ。
届いて、私の声、私の、歌声。願って、叫んで、それでも届かなかった。
願うだけじゃダメだった。
行動に移した。月へ迎う私の元へ、自分も飛んで、危ないよって、届かないよって。でもだめだろう、止まらないだろうなって思う自分がいて。そんな他人の言葉に耳を貸さない、自分がやりたいことを、想うことを、願いをかなえるため、動くのが私だから。
実に楽しそうに空を飛ぶ私を見ているうちに、あぁこれでいいのかもしれないと思う自分もでてきて、そうしているうちに、夜空が明らんできてしまった。あぁ夜明けが来たのか。私は、結局月へは届かない。
けれど結末を見るよりも前に、私の意識が白んできてしまった。
私は結末を、自身の将来を見るよりも前に、どうやら目が覚めてしまうらしい。
「、……おい」
「はい……はい、起きる、わかった……」
そう言っている割に、の目は全く開かない。むしろ逆にきつく閉じ、布団をかぶってしまう始末。「おい」と呆れたような声が頭上から降り注ぐが、そんな声で起こされたくなんかない。私はゆっくり眠りたいんだと頑として起きようとはしない。
それが悪かったのだろう。ベッドに眠るの体に、何か重いものがのしかかってきた。ああこれは……
「いいから起きろ馬鹿。仕事の時間押してるんじゃないのか!」
そう言いながらあんた私を押し倒しているじゃない……。
その呟きは声にならず消え、その代わり布団からむくり顔を出した。
「嫌なこと思い出させないでよ楽……」
「飲む前にお前が言ってたんだろ。絶対朝起きたあと仕事に行きたがらないだろうからどうにかしていかせてくれって」
「言ったぁ?」
短い髪は寝癖が多くついており、これがトップアイドルの姿か、と楽の目が遠くを見つめる。それがわかったは彼の胸板をドンと叩き、自身の上から退かせる。仕事だろうと起こしたのは誰だ!
「あれ、楽仕事は?」
「今日はオフ。じゃなきゃお前なんて放置だ放置」
「ひっどいなぁもう」
のろのろと起き上がろうとしたらぐいと腕を引き起こしてくれた。なんだか老人介護をされている気分だ。
「今何時?」
「まだ七時。十時からって言っていたよな」
「うん。ここからなら三十分もあればつくし……あ、オフなら車借りてもいい?」
「……お前、ばれるぞ」
「…………おとなしく電車で行くかぁ」
兎に角シャワー浴びてこい、と楽は一糸纏わぬに短く告げると、寝室から出て行ってしまった。冷たい男だなぁ、なんて思いながらもそれがあの男のため何も言うまい。
熱いシャワーを浴び、汗を流して慣れたリビングへ向かうと、楽が朝食を準備して待っていてくれた。わぉ、なんて新妻。終いには「髪、ちゃんと乾かさねぇと痛むぞ、アイドル」と言われてしまった。さすがはトップアイドルね。先程全く同じことを楽も考えていたことを、互いに気付くことはないだろう。
今日の仕事は新曲のレコーディング。新たに出すアルバムへの追加曲の収録だ。十五の時にこの世界へ飛び込んで、がむしゃらにここまで走ってきた。気付けば年は二十二。アイドルとしてはいい年になったなと思いながらも、しかしもしも私が一般人であったならばまだまだ若いのだろうなと考えると何とも言い難い。とはいえ同い年の新人アイドルが目の前にいると、何とも言えない気持ちになる。
この気持ちをどう伝えればよいのだろうか。……伝えなくとも良いのだろう。アイドルは結局人々を夢見させる立場。年齢のことなどいちいち気にしていては始まらない。
「夢をさ、見ていたのよ」
「……夢?」
「そ、夢。ドリーム。あなたに起こされるまでずーっとみていた夢」
「そこまでいうなら次はおこさねぇぞ」
「冗談よ冗談。今度も起こしてちょうだいな」
語尾にハートマークを飛ばしてにっこり笑えば、抱かれたい男No.1はその端整な顔をゆがめてため息を吐いた。
「夜はもっと可愛げがあるのにな……」
「今だって十分かわいいでしょ」
「あーかわいいかわいい、で、夢って?」
抱かれたい男No.1に私数時間前まで抱かれていたのよね……。
抱かれたという事実を疑うのではなく、目の前の男が本当にNo.1であるのかということに疑いを向けながら、楽のごまかしにも似た問いかけに答えてやる。
「昔の夢で、でも今の夢でもある、かな」
端的に言えば、そうなのだろう。月へ向かう私は、昔の私であり、今の私でもある。
だがそんな言葉の意味が楽はよくわからなかったようで、首を傾げられてしまった。
「いい夢だったのか?」
意味を考えるのはやめたらしい。多くを尋ねるより、自分の話に耳を傾けてほしいという私の気持ちを、よくわかってくれている。さすがは長い付き合いなだけある。
にんまり、カメラのまえでは絶対にしないような表情を浮かべ、口を開く。
「最っ低な夢ね」
私の夢は、月よりも遠いところにある。その夢を、飛んで取りに行けると思っただなんて、夢の私は馬鹿ね。
月ほども近ければ、とおの昔に私の夢は叶っていただろう。
楽はそんな私を見て、穏やかな表情を浮かべていた。
その理由をは知らなかったが、それでも二人の間にはとても穏やかな時間が流れていたのだった。