誰のものにもなれない夜に
今日はここで休んでいこうか、と宿に入り、夕食を終え男女に分かれて部屋に戻ったまでは良かったのだけど、どうにも目が覚めてしまって眠れない。明日も早いだろうから寝るべきなんだろうな、折角宿が取れたんだからゆっくり休むべきなんだろうな、と考えるのだけど、考えれば考えるほど目が冴えてしまってこれでは悪循環だ。布団はエステルとリタ、ジュディスとパティ、そして私が一人で使っていたため、もぞもぞと寝返りを打ったところで誰の迷惑にもならないが、皆の寝息が聞こえる中で私だけが眠れない状況というのもなかなかに辛い。
これはもう大人しく部屋から出てお酒でも飲みに行こうかな。もしかしたら――絶対にないだろうけど――、お酒が睡眠導入剤になってくれるかもしれないし。
皆を起こさないよう細心の注意を払い、寝間着から普段の旅装束に着替えると、ギイと少し立てつけの悪い部屋の扉を開き、外から鍵をかけてやる。彼女たちであればきっと返り討ちにするだろうけど、一応女の子の部屋なのだから注意をしてし過ぎることはない。持ち出した鍵をチャリンと鳴らしながら、私は宿に併設されている食堂へとのんびりとした足取りで向かった。
深夜であっても営業を続けてくれる食堂の主に感謝を覚えながらさてどこの席に座ろうかとぐるりと見渡し―――「えっ?」と思わず声を漏らしてしまった。
後姿だけ見れば女に間違えられることは決して少ないんだろうなぁ、でも正面から見るとそれなりにがたい良いから間違えられることはないだろうなぁ、とか考えてしまう人物が、普段はシャンと伸ばしている背中を丸めて端の方の席にいたのである。
珍しいこともあるものだ、と思ったけれど、これまでも私が眠れないなと思っていると十中八九彼が起きていたような気がする。気が合うんだかはたまた別の要素からか。どちらだろうね、と私は内心肩を竦めると、相席させてもらおうとそちらへ歩み寄る。
「ハァイ、ユーリお元気?」
「…………?」
どうやらユーリは私に気付いていなかったらしい。珍しい、どうしたんだこの男!?と驚いたけど、ユーリの手の中のグラスを見て、あぁそういうことかと納得する。
グラスには並々といかにも甘ったるそうなドリンクが注がれている。そしてユーリの顔はなかなかに赤い。色白というわけではないけど、そんなに顔色が黒いわけでないユーリは赤みがさすとそれがすぐにわかってしまうようだ。―――つまり何が言いたいかというと、ユーリはお酒を飲んでると言うこと。
ユーリが飲んでるところなんて初めて見たかもしれない。かも、でなく実際そうだろう。野宿の時に飲んでいる余裕はないし、宿に泊まった時もユーリはレイヴンが酒を飲むのを眺めながら隣で甘いものを食べていたわね。
どうするか迷った私は、ユーリの隣に腰かけ店員にウイスキーのロックをお願いした。
先程驚いた私とは逆にユーリが驚いたような表情を見せたので「なぁに?」と尋ねてみたところ、
「が飲むところなんて初めてみるなと思っただけだよ」
と、少したどたどしい口調が返ってきた。まさか同じことを考えていただなんて私たちったら本当に仲がいいわねぇ!などと冗談交じりに考えながら、そういえば確かにそうかもしれないなぁと頷いた。
「別に理由なんてないんだけど、機会がなかったのよねぇ」
そう答えれば、ふうんと興味なさげな答えがかえってくる。
ユーリの様子に肩透かしを食らいつつ、まぁいいかと思ってしまうあたり私は結構ユーリに甘いのかもしれない。―――かも、ではなく実際にそうだろう。
届いた酒をゴクリと一口飲めば、喉が焼けるような感覚と独特の味が胃に落ちる。
美味しいには美味しい。でも。
(うーん、酔えないなぁ)
すでに意識がフワフワと宙に浮いてしまっているユーリを見ながら、そんなことを考えてしまった。
私は、酒に強い。というより、酔いにくい体質だ。だからこれまでも男とサシで飲んで飲み負けたことはないし、酒の勢いでなんとやらってこともない。それが良いのか悪いのか私には判断がつかないけれど、これじゃあ睡眠導入剤にはならないなぁ。隣でうつらうつらと舟をこぎ始めているユーリとは真逆だ。
きっと女の子としては今のユーリの様に可愛らしいお酒を飲んで、すぐに酔ってしまってふわふわしてる方がかわいいんだろうなぁ。
もう一口酒を口に含みながら、そんな考えが頭を過った。
っていうより、私とユーリの性別、どう考えても逆じゃないかしら。
うつらうつら寝そうで寝ないという状態で収まるかと思ったユーリだったが、気付けば私とは逆の方向へ倒れそうになっていたため、慌てて首をこちらに凭れ掛からせてやる。ほんっと、男女逆だわ。
ふつうは眠ってしまった彼女が彼氏に寄りかかって眠るって構図のはずなのになぁ。
さらりとしたユーリの黒髪が私の首筋にあたりなんとも言えないくすぐったさを覚えながら酒の入ったグラスを揺らせば、中の氷がカランと音を立てた。
これで私が男でユーリが女だったら、一体どんなことになっていたのかしら。
ふふっと笑えばユーリが小さく身動ぎした。だが意識が戻る気配はなく、そんな様子にもっと笑えてくる。
私が男なら、きっと、いや、絶対にお持ち帰りしてただろうなぁ。
でもそういうのって恋人になる前の男女で起こることなのかしら。よくわかんないなぁ。
少なくとも私たちの今の関係は、恋人とは言えないものだろう。というかそもそも肉体関係があるわけでもないし。
そうなると私たちの関係って、一体どういう言葉で表すのが正しいんだろう。
ただの仲間とは言い切れない気がする。仲間よりも深く、けれど恋人というにはそういったことは一切ない清い関係。
―――あぁ、でも、一度だけ。
一度だけ、キスをしたか。この年になってそんな可愛らしいことを真剣に考えるだなんてね、と口の端から笑いが零れた。
別に口づけしたからって何かが変わったわけでもない。だってあれは何の誓いでもない、何の意味もないものだ。そこに甘さなど存在するはずもなく、今ではお互いそんなことがなかったかのように旅を続けている。
しかも、どうして唇を重ねたのか良くわかっていないようなものだ。恐らくそれはユーリも一緒だろう。
―――魔が差した、とでもいえばいいのだろうか。
兎に角その程度で恋人を名乗るにはいささか私は年を取りすぎているような気がするのだ。
もっとも、まともな恋愛をしてこなかった私にはどうにも判断を付けづらいのだけどね。
ただ一つ確実にいえるのは、お互いに相手を憎からず思っていること。特別に意識をしていると言っても良いだろう。
なんて不器用な関係なんでしょう。腹を抱えて笑ってしまいそうだ。
「ねぇユーリ。そろそろこの関係にきちんとした名前を付けてもいいんだよ」
寄りかかっているユーリの頭の上に己の頭をのせ、ぐりぐりと押し付ける。
小さく唸るユーリの声を聴きながら、もしかしたら私は今酔っているのかもしれないなと思った。