何の誓いでもないキス
※久々の作品がこれでいいのかというほど?残酷描写があります。「そのおとこをころすの?」
なるべく、普段通りの声を心がけたつもりだったのだが、決してそのようなことはなく、闇夜に溶けてしまいそうなほど、そして彼から見た私には不似合いな、透き通った声が出た。
その声にか、はたまた自身とラゴウしかこの場にはいないと思ったからか、ユーリは少し驚いた表情で私の名を呼んだ。それには笑顔で応じた。―――つもり、なのだけど、うまく笑えたとはどうしても思えなかった。それでもどうにか口唇を横にのばし口角をあげ、笑顔に見える表情を作り上げる。どうせ暗闇の中だしばれることはないだろう。もっとも、その表情はラゴウからしたらとても恐ろしいものだったようで、鋭い悲鳴が聞こえたが。ユーリから目をそらし、緩慢な動作でラゴウのほうを向けば、震える足腰に鞭を打ち私たちから少しずつ離れていくところのようだった。
ユーリはそれを見て鞘から剣を抜き、鈍い光を煌めかせたが、私からしたら、やっていることが生ぬるい。―――手慣れていても、いやなんだけどね。
「ねぇ、うごかないでよ、あとがめんどうでしょう」
周りに悟られない程度ではあるが、見るものが見ればわかるふくらみを持った袖を、下から上へ鋭く揺らす。直後の悲鳴は先程の比でないほどあたりに響いた。
私がそれに顔をしかめていると、ユーリもまた先程とはくらべものにならないほど、驚きに満ちた表情で私を見た。
貴方は勘が鋭いから、気付かれていたんじゃないかと思っていたけど、そんなことはなかったのね。私が心に浮かんだのは安堵か喜びか、はたまた悲しみか。それであっても構わない。今気にすべきはユーリよりもうるさいラゴウだ。
「のどをつぶされたくなかったらだまりなさい。―――声帯を潰すよりも先に、あなたの命を潰してしまうかもしれないわねぇ」
叫び声をあげながら膝を―――私の投げた短剣が突き刺さった膝を、抑えていたラゴウだったが、やはり死にたくないようですぐに声を止めた。
膝の皿は割れたかもしれないけど、でもちゃあんと考えてやったのだからいいじゃない。先程は浮かばなかった笑みが、ようやく顔に現れた。
急所の位置は完全に把握しているし、出血は少ないよう工夫して短剣は投げた。なのにどうしてあんなに叫ぶのかしら。あれだけのことを人に対してしたというのに、どうして自分がされる覚悟はできていないのかしら。不思議でたまらないわ。
この場に来た目的を忘れかけ、ラゴウのもとへゆっくり歩み寄っていたら、背中のほうから強い力で肩を掴まれた。もちろん肩が抜けるほどではないし、ついでに言えばこのような行動に出るのは予想がついていた。
「、お前……」
肩越しにユーリの表情を伺い見る。恐怖に顔が引きつる……なんてことはなかった。先程までは驚いていたというのに、いつの間にか落ち着きを取り戻している。流石はユーリってとこなのかしら。でも本音を言えば彼の恐怖に染まった表情を見てみたかったかもしれない。実際に見たらきっと私とてショックを受けずにはいられないだろうけど。知り合い、友人、仲間。そんなカテゴリに位置する人には、やっぱり醜い本性なんて見られたくないもの。
「ねぇ、あのおとこ、ころすの?」
再び同じ問いかけを紡ぐ。今度は、低い声で「あぁ」という返事が返ってきた。肩を掴む手は離れず、強く食い込んできた。私、別に痛みに強いなんてことないから、離して欲しいんだけどなぁ。しかし実際に口から飛び出したのは、違う言葉だった。
「貴方にできるの?」
普段のふざけたような作った口調ではなく、また先程の透き通った……どちらかといえば狂った声とも違う、私の素の声で尋ねる。
ユーリは瞬きを繰り返し、やがて、これで踏ん切りがついたというような覚悟を決めた表情で首をゆっくり、縦に振った。
そっか、そうなのか。
私の心に、真っ黒い滴が落ちてきた。とはいっても私の心に白い部分なんてないから、それはすぐにまじりあって消えてしまったけれど。
でも、その代わりに棘のように突き刺さった。いつまでも消えない、花の棘。
だから、私も、あなたに傷を残したくなった。
「―――かわりに殺してあげようか?」
きっと私は、買い出しや寝ずの番をかわるときも同じ口調で提案するだろう。
私からしたら、それだけ些細なことだ。―――ひとをころすという行為は。
ユーリはここにきて、それに気付いたのだろう。ゆっくりと、私の肩から手を離そうとした。それを、私は自分の手を重ねることで、止めた。彼を見ないで、言葉を続ける。
「貴方に殺しは似合わない」
「……お前なら、似合うっていうのか?」
首を縦にも横にも振らず、私はただ「さぁ、どうかしらん」とお道化て見せた。殺しが似合うにんげんなんて存在しないわよと嘲笑うように。
けれど。
「貴方があれを殺せば、とても重いものになるわよ」
「覚悟の上だ。あいつがいなくならねぇと、傷つく人間が増えるだけだ」
「正義のためだから、重くとも構わないと?」
「正義と言い切れないから、俺が背負うんだ」
何のためらいもなく出てきた言葉に、私は瞳を揺らした。
正義という大義名分のもとだから重く感じることはない。彼自身が直接口にしないにしても、きっとこう考えているだろうと、勝手に思っていた。
なのに、彼は。
「本当に、覚悟を決めているんだ」
重ねていた手を離せば、すぐにユーリは私から離れた。
ちらりとこちらを一瞥し、だが何も言わぬまま、痛みに気を失いかけているラゴウのもとへ向かった。無理やりに起こし、何かをしゃべっているようだったが、私の意識には入ってこなかった。
貴方が背負わなくても、良い命なのに。
どうして、貴方が背負うの。どうして、そうやってまっすぐでいられるの?
「………………かなわないなぁ」
叶わない、敵わない、私がどちらの意味で使ったかは些細なことで気にするべきでない。
今は、覚悟を決めていても、やっぱりどこか危なっかしい、
「ユーリ」
貴方が優先だ。
今度は私が彼の背後に立ち、背中をゆっくりと叩いてやる。
「ユーリ」
「俺は、この道を選んだんだ」
俯く表情は後ろからでは見えない。だが、声に後悔の色は感じられない。決して、達成感などという明るい色も感じられなかったが。
「ユーリ……」
三度目の呼びかけで、ユーリはこちらを向いた。
だが表情はうかがえない。すぐさま彼の腕に閉じ込められたから。
背に手を伸ばしトントンと規則正しく背を撫でてやると拘束が緩んだが、その腕から抜け出そうという気はそうにも起きなかった。だからそのまま彼の胸に抱きついていたのだが、「」と私を呼ぶ声に顔をあげてしまった。
見れば、私が後悔すると思ったから、絶対に、見るつもりなんてなかったのに。
強張った顔に手を伸ばせば、彼はそれを避けず、受け止めた。
目じりを優しく撫でれば、そのままの流れに従うようにどちらからともなく唇を寄せあった。
それは、この場には似つかないほど、柔らかいものだった。