考えてみると、が何かに怯える姿というのを見たことがなかったように思う。
 そもそもは怖いものなどないと言い切れるようなおんなであるし、そのうえ彼女はいつだって余裕たっぷりの表情を保ち周囲にその本心を見せようとしない。それが癖になってるのよねぇだなんては笑っていたけど、俺としてはの弱いところを見てみたいと考えてしまうわけでして。―――決して俺が優位に立ちたいからとかでなく、ただ、のそういうところを含めて支えていけたらなと思うからだ。

 しっかしほんとにこの女怖いもんなんてないのだろうか。まじまじとの顔を見つめ悩んでいれば、「どうかしたの?」との唇が微かに動いた。どうもしないけど、……そうだな。

って、怖いもんとかあるの?」
「……まんじゅうこわいでもやればいい感じ?」

 ついついそう尋ねれば不思議そうな表情を浮かべた上でこの回答である。
 まんじゅうこわいとは簡単に説明すると饅頭が怖いと言ってその饅頭を大量に入手し食べてしまうという有名な噺のことだ。
 いや誰もそういう話をしていないからなと顔を引き攣らせれば「冗談よう」と目を細めてケタケタと笑った。

「でも怖いものって言われてもねぇ……」

 うーんと首を傾げ悩んでくれるは状況が状況なだけに違和感を覚えてしまいそうになるけど可愛いことに変わりはない。惚れた欲目ってやつだろうか。しかし尋ねたことは彼女の怖いものについてであるのでやはり何とも言い難い違和感がある。
 さてはなんと答えてくれるのだろうか。怖いと有名なお化け屋敷であっても平気な顔をして出てくる彼女はそういった非現実的なことを怖がる様子はない。かといって現実的で怖いものと言っても彼女が沢村たちのように試験に怯えている姿など一度も見たことはない。試験に怯える周りを見て怯えていたことはあったがそれは何かが、というか全体的に違うような気がする。
 同様にうーんと俺も首を傾げ何かないかなと考えるのだが何も思いつかない。もそうやって暫く悩んでいたのだが、やがてあることを思い付いたようで伏せていた目をゆっくりと開いた。

「そういう貴方はあるの?」
「なくはないな。でも特に怖いのは俺の彼女がいろんな情報を持っていることかな」
「あらまぁ、それは怖いわねぇ」

 口元には笑みを携えているが、目が笑っていないうえに棒読み。普段だったら腹にグーか耳をつねられていたことだろう。俺の彼女のすぐ手が出るところも怖いと言おうかとも思ったが言わなくて正解だった。でもは誰彼かまわず叩く抓るの暴挙に出ているわけじゃない。俺や倉持、それから一部の野球部員といった、『恋愛感情を持たれても困らない相手』か『恋愛感情を持たれることのない相手』に絞られる。こうやって計算しているという事実も怖いところなんだろうなと思うけど、の場合そういった自衛はしてし過ぎることはないので俺自身は怖いと思ったことはなかった。むしろもっと気を付けるべきだ。
 そう考えると彼女のそんな小悪魔のようなところも怖い。に何かあったらと思うと不安でたまらないからできれば自重してほしいものだ。でも時折部員たちに見せる天使のような部分も怖い。に惚れるやつがまたでてくるんじゃなかろうかと思うと彼氏としてはこれまた不安なのだ。
 ―――つまり俺はが怖いということになるのかもしれない。でもこんなこと言っても「まんじゅうこわい?」と笑われるのが落ちだろうから心に留めておくことにした。



 と、そうこう話していたのだが、やがては何かを諦めたような表情で俺の顔をじっと見つめ……、

「やっぱ私、貴方が怖いわ」

 はぁ、とわざとらしく溜息を零す姿は彼女の表情も相まってなんとも色っぽいのだが、きっとそう考えるのは彼女の行動によるものだけではないだろう。「それは何より♡」とニヤニヤした顔で上からを見下ろせば、今度は本気の溜息。

「まんじゅうこわいじゃないっつーの」

 頭上に回った―――というか俺によって回されている腕に力を込めながらそんなことを言うが、さすがのちゃんも男の力には叶わないらしい。俺は片手で彼女の腕を押さえいるだけだというのに、どれだけが力を籠めても拘束が解ける気配はなかった。とはいえ俺だってを怖がらせるためにこんなことをしているわけではないから、少しでも嫌がる素振りを見せたらすぐに離れるつもりではいる。もそれは分かっているのだろうけど、一向に本気の抵抗を見せないところから俺のことを怖がっているというのは嘘だろう。それこそまんじゅうこわいみたいな。だけどそれを否定されてしまってはどうすることもできない。「えぇ……」と自分でもわかる何とも情けない声を上げれば再び赤い唇から溜息を零される始末。

「溜息吐きてぇのはこっちなんだけどちゃん……」
「いやいや私の方が吐きたいからね。なんだってこの体制でそんな話始めてんのよ……話に乗った私も私だけどさぁ」

 うん、確かにそうだね! オフデートの後の部屋に雪崩れ込み、その勢いでベッドへ―――というのは健全な高校生ならばよくあること。だったのだけど、その時のの何とも余裕そうな表情に、こいつって怖いもんはあるのだろうか……と疑問が浮かび上がってしまったというわけである。そして彼女を押し倒したまま尋ねれば、予想に反してまとも―――とは言い難いが兎に角話が続いてしまい、俺はの上に覆いかぶさるような形でずっと会話を続けていたというわけだ。勿論彼女に体重をかけるなんて馬鹿なことはせずに。時折「なんでこのまましゃべり続けてんの……?」と言いたげに唇が動くのだが結局それが音になることは一度もなく、だったらこのままでいいかと自信でも疑問を抱きつつもとの会話を楽しんでいた。

「で、マジで怖いもんってないの?」
「仮にあったとして、いったい何に使うっていうのよ。脅し?」
「使うわけあるか! ちゃんの中の俺って一体なんなんだよ……ッ」

 冗談よとしれっと笑っているが、お前がもしそういうことを冗談で言ったならば絶対に笑い声は奇妙な「んっふっふ」かケタケタ笑うかなので絶対本気で言った。俺はちゃんのそういうところが怖いよ……からそっと目を逸らしそんなことを考えていたのだが、ふと、がじっと俺の顔を見つめているのに気付いた。

「ほーんと、一也が一番怖いわ」

 何度も言われてしまっては「わかったよもう」と言わざるを得ない。そのまま彼女の拘束を解き、今日はお預けかぁと健全な高校生には大変辛い現実を嘆く。基本は気分屋だからなァ。
 内心肩を竦めながらから目を逸らし彼女の上から起き上がれば、どういうわけかグイと首をひかれてしまった。急なことで思わずバランスを崩しそうになるもそんなことをすればが潰れてしまう。慌てて両腕で体を支え、鼻先がのそれにかすりそうな位置ではあるもののを潰さないことにどうにか成功。しかし再び体制は俺がを押し倒しているというものになってしまって。逆戻りだけどちゃん一体何がしたいの。
 しかし次の瞬間。

「一也が怖いな」

 ―――あぁ、くそ、そういうことかよ。
 ようやくそこでの言葉の真意を理解できた。彼女は怖い怖いと言いながらもその声は楽しげに弾んでおり、少し冷静に考えればすぐに気付けたことだった。いっそ俺が心の中で考えていたことよりもひどい。
 つまり結局も『まんじゅうこわい』ってことだ。それならそれで早く言えよと腹を立てながらもそれ以上に嬉しさが上回っているので、自分で言うのも何だが男ってのは非常に単純な生き物だ。
 じゃあもっと怖がらせてあげましょうかね。口角を上げを見れば彼女も似たような表情で俺を見ていたので、俺は自重することなくの唇を食べてしまうことにした。
20160916 ... 影ほどの距離 《title:as far as I know / 黄道十二宮》
 ユニバーサル・バニーをBGMにまんじゅうこわいってなかなか物凄いことをしてしまった気がする。  ちなみに嬢はふつうに虫が怖いっていう女の子らしい一面も持っていますが収拾つかなかったから諦めた。いずれ出します。いずれ。