いかに青道が野球の強豪校といえと、定期試験は必ず訪れる。野球部員であっても学生である以上本業は勉学に励むことであるので、さすがに試験が免除されるようなことはあり得ない。赤点を取った時の生徒なら補習を受けるところを同じ試験問題を使って再試する、みたいなことはある―――いや、あった、んだけどね。
 これが引退した後の試験であれば受験も近いことだしとそれなりの成績を獲得しようと努力しようとするのだろうけど、残念ながら(?)今の私たちは何とも微妙な二年生。来年のためにも頑張っておくべきかな、でも最悪野球部ってことで大目に見てくれるかな。そういう油断が生まれる学年である。
 ―――そこが大問題なのよ。切実に。
 去年うちの学年は部員の過半数が赤点をとり、下手をすればオールレッド時々ホワイト、なんてものもいたくらい。え、私? 私は可もなく不可もなしってとこかしらね。―――いや上述の部員と比べたら圧倒的に可だけどさ! そんなわけで私たちが一年の頃までは再試だったところを、野球部員だからと言って贔屓したりしない、心を鬼にして赤点を取ったものには全員補習をプレゼント! と言われてしまい、慌てたのは野球部の中でも成績上位者たちである。つまり私だったりナベ君だったり、あとは我らが御幸一也ね。
 監督からの呼び出しに先輩後輩入り混じって妙なメンツだなぁと首を傾げていたのも束の間、呼ばれた私たちは監督よりあるミッションを受けた。
 何としても部員から赤点を出すなという、試合に勝つよりももしかしたら難しいのではなかろうかと思えるような指令である。
 無理です、絶対無理! そう叫んでやりたかったけどサングラスの奥に除く鋭い眼光はそれを許してはくれず、呼ばれた全員が「努力します……」と頭を垂れて監督室を出ていく結果となってしまったことはッまだ記憶に新しい。だって三日前のことだもの……。

 呼ばれた全員、ここからは分かりやすいように《先生役》とでもいっておこうか。兎に角そんな私たちは、相談の結果受験もある三年の先輩方はそちらで隔離し、二年が一年の面倒を見る、という何とも私たちに負担の大きい割り振りとなってしまった。もちろん文句…………もとい抗議…………もとい提案!は、したのだが、「じゃあお前ら俺たちが受験しくったら責任とれるのか?」という一言は私たちに大きなダメージを与えた。せめてもの情け、推薦の人だったりセレクション受けるつもりの人たちだけでもよこしてくださいよ……出来ればクリス先輩を! という私たちの願いは呆気なく却下され、肩を落としながら割振り分担をどうにか決めたのが二日前。

 そして昨日今日と放課後練習を早めに切り上げ自主練をやめさせて学年ごとに勉強会を開いたのだが。

 結論から言えば絶対に赤点者は出るだろう。監督から《先生役》へのペナルティはかせられなかったのだけど、補習が入るというのはイコール練習時間が減り大会に影響を及ぼしかねないという部全体へのペナルティが待ってるというわけなので、絶対に避けなければならない。絶対に無理だけど。無理だけど。



 青心寮には大部屋がいくつかあり、それらの部屋を学年ごとに分けて使い勉強会を開くことになったのだけど、―――正直問題しか起きていない。

「どうやったら成績上がるの……いやむしろどうやったら勉強してくれるの……」
の担当なんてまだいいほうだぞ……」
「沢村降谷はそんなに悪いわけ……?」
「悪いとかそういう次元じゃねぇよ……」

 食堂で開かれた《先生役》の反省会で、二年全般を担当する私は、一年……というか一年ピッチャー担当の御幸と情報を交換し合う。反省会とは言いながらもこの場には私と御幸の二人しかいないからちょっと違うような気もするけどね。

 あいつらがノートをとってるはずがないとは分かっていたけど、それにしたっても分数で止まってる男がいるとは……と顔を覆い嘆く御幸に熱い珈琲を渡してやる。お疲れ様と同情しながらも、よかった一年担当にならなくって、と思ってしまうのは仕方のないことだろう。

「小湊や金丸も頑張って二人に教えてはいるんけど、各々自分の勉強もあるみたいだしな……」
「因みにそういう貴方は?」
「このままあいつら見てなきゃとなると正直怪しい。さすがに赤はねぇとは思うけど、でも心配代自分の勉強に戻りてぇよ。…………はどう?」
「教えながら復習できる分たぶん一也より範囲の勉強できてるわ」

 ぐったりと疲れすぎて、思わず無意識に名前で呼んでしまった。けれど御幸はそれに気づいていないのかはたまた気付いたうえでなんの反応も示さないのか、メガネをはずして眉間を指で揉みながら「どうするのが一番効果的なんだ……」と一人ごちていた。あぁこの姿こうやって切羽詰まってる時じゃなくって普段のゆっくりできるときに見たかった。めちゃくちゃ様になっててかっこいい。とかなんとか考えちゃう私は相当頭をやられているらしい。

「もしかして一年馬鹿二人は二人の点数を合わせて平均行けばいいと思うって監督に伝えておけばいい感じ……?」
「そうだな……それで頼む。二年もそんなか?」
「馬鹿二人に比べたら断ッ然ましね。一回ノート破ったらおとなしくなったし」
「そうか―――待て、待て何をしたって?」
「ノート破った」
「ま?」
「ま」

 まじか?の略に対してまじよと真顔で返答。ノート破るってお前どんだけ暴れてんだよ、と心の声が聞こえてきそうだ。失礼ね、暴れちゃいないわよ。色々と誤魔化すようににっこり笑うと、

「だってぇあの人たち隙あらば逃げようとするんだもーん」

 かわいこぶってみれば御幸の顔は思い切り引きつってしまった。えへ、と笑えばため息を吐かれる始末。だって、本当のことなんだもの。すぐに表情を戻せば、御幸は珈琲で喉を湿らせてから再び口を開いた。

「因みにそのノートって新品?」
「ええそうよ。でも切れ端状態でも計算用紙として使えるから大丈夫よ」
「そこまで酷かったのかあいつら……」
「まーね。けどそのあとは問題無しよ。―――二組の葉子ちゃんはサボりが嫌いみたいね、三年六組の入谷さんって頑張らない人から告白されても興味持たないんですって、一年一組の長谷川さんは勉強できる人がタイプらしいけどどうなのかしら、云々言い続けたら大人しく勉強始めたし」

 それ俺が教えたあいつらの好きな人だろ……。横流しありがとう助かっちゃった♡

 にっこり笑顔に御幸は何も言えないようである。惚れた弱みかしら? ―――違うってことぐらいわかってるわよ。ぼそりと「全部お前らが悪いんだからな……」って呟いているし。

「つーかそこまでしなきゃやらなかったってことか……」
「貴方も明日は二年の勉強会参加してみなさいな。どれだけひどいかわかるから」

 見たいような見たくないような。考えておくよと声が返ってきたのであまり期待せず待っていることにしようと思う。だって、二年の方に参加するから一年の方誰か頼む、なんて言われちゃたまったもんじゃないもん。

 そして二年の酷さに対して一年の酷さについて聞いてみることにすれば、薄らと笑みを浮かべながら答えてくれた。なによその笑い……怖いんだけど……。

「一年二人は球受けてくれたらやるつってたけどむしろ逆だそりゃご褒美。お前ら絶対やらねえだろうって却下したよ」
「何当たり前のことを言ってんのよあの二人……」

 あいつらは小学生か、と額を押さえれば、珍しくも「まぁまぁ」と二人の方をもつ様子の御幸。

「ご褒美があった方が燃えるってのはわかるしな」
「そういうもの?」
「なかったの?」
「うーん……あんまりうちって勉強勉強って家じゃなかったからなぁ」

 うちは好きなことは好きな時にしかできないんだから好きにやればいいの、と基本放任の保護者だった。
 だから好きなことをやっていたんだけどそうするためには勉強も必要となってしまって、それに気付いてからは最低限はやるようになり、そのおかげで今の成績をキープできているとも言えるだろう。
 自分で気づき、自分でやる気にならなければ、周りがどれだけ言ったところで意味をなさないということをあの時に知れたのだけど、それを勉強しない奴らにどう教えていいのかわからずその経験は活かせていなかった。

「まー最低限しかやんないからあまり強く言えない気もするんだけどさぁ」
「最低限もやらない馬鹿に比べたら全然良いだろ」
「……肯定も否定もしないでおくわ」

 悲しくなってくるから。遠くを見れば同じく御幸も遠くを見た。
 これはどうにか話を修正すべきだ。どの話題を言葉にのせようかと少し考え、そこで「あぁ」と一つ思い出した。とっておきがあるじゃない。

「御幸のご褒美ってなんだったの?」
「んー……母さんがいたころは百点を持って帰ると褒めてもらえたかな」

 「ご褒美って言ってもそんなもんだよ」と笑う御幸の表情があまりにも柔らかくて、思わずドキドキと胸が高鳴る音が聞こえたような気がした。反則なんじゃないかなぁもう。顔が赤くなっていませんようにと祈りながら、その胸の高鳴りを誤魔化すように「良い思い出ね」と笑顔を返した。

「でもあいつら褒めたからって勉強頑張るとは思えねえしなぁ……」
「やっぱり最後の手段使う?」

 あの二人に特に有用なのってないんだけどね、と何とは言わずスマホを弄っていれば神妙な面持ちで、

「一応最悪の場合に備えておいてくれ。毎回使うわけにはいかねぇし本当にそれ、最終手段だから」
「りょーかい。……も、どーやったら簡単にやる気をだしてくれるかしら……」

 ううんと二人頭をひねらせる。どうして私たちは試験前だというのに人のためにこんなにも頭を使わなければならないのかしら。悔しくてたまらない。けれど悔しがったところで何も思いつかないし、こうなったら参考までに聞いてみようじゃないか。

「御幸なら何がいいと思う?」
「俺? そうだな……」

 少し悩む素振りを見せたかと思うとじっと私を見つめてきて、そしていたずらっ子のような笑みを浮かべた。―――嫌な予感がする。

ちゃんが一日言うことを聞いてくれる券とか?♡」
「あんたに聞いた私が馬鹿だった」

 思わず天を仰げば「はっはっは」と軽快な笑い声を漏らした。沢村と降谷をどうするか悩んでるのになんでそんなこと言って笑ってんのよばか。

「じゃああいつらが赤取らなかったら、券ちょーだい。そしたら俺もうちょっと頑張れそう♡」
「そんなのが無くても頑張って頂戴」

 そろそろ二年勉強部屋の監視変わらなきゃ。実は今の時間は、二年部屋担当の相方であるナベ君に監視を任せて休憩を取らせてもらっており、そこへ御幸が偶然現れたというわけであったのだ。
 二人分のマグカップを手に取りシンクへ持って行こうと立ち上がれば、片手をぎゅうと御幸にとられてしまった。これじゃ動けないでしょ、ため息交じりにそう告げようとしたのだけど、あまりにも真剣な表情で私を見てくるものだから何も言えない。

「俺、本気なんだけど」
「私にメリットがないじゃない」
「あいつらが一つでも赤取ったら俺がちゃんの言うこと一日聞く―――って言っても?」

 少し心惹かれるような気もする。けど別に命令したいことないしなぁと肩を竦めた。

「もうちょっと心惹かれる条件追加してからでよろしく」
「じゃあそれにデート追加でどう?」
「いやそれむしろ貴方へのご褒美になってるから」
「じゃあちゃんは次のオフにデートしなくていいの?」
「…………自主練は」
「したいから昼から出かけるのでどう?」

 悪くねぇ条件だと思うけど、って貴方、ねぇ、ちょっと……
 ぐぬぬと悩みながらも、悩んでいる時点で心はそちらに傾いているも同然でして。



 もしかしたら私はこの策士に一生叶わないかもしれない、というのは試験明け初のオフデートでしみじみと感じたことである。

 だってこの男、私がそのご褒美―――というか賭けにのるや否や一年二人の元へ向かい、こう言ってのけたんだもの。

「試験合計点が高い方どちらかの球を試験明けの練習で好きなだけ受けてやる。ただし条件は赤点が一つもなく、相手に勝った方だ」

 一年二人が闘志を燃やしたのは言わずもがなだし、結果として彼らは一つも赤点を取ることはなかったので、ほんっとうにこの男は策士だ。
 どちらにせよ命令できるのだからデートは確定事項よねとは、その策に結局乗った後すぐに気付いたんだけど―――デートに行けるのは確かにご褒美になるからまーいっかと思ってしまう自分がいて。
 今のところはなんだかんだ無茶なお願いをされてはいないし普通に楽しめているんだもの。今のところは、ね。
20160912 ... 君がいれば薔薇はいらない 《title:as far as I know / 黄道十二宮》
 自分たちの成績が賭けの対象でない当たりこの二人って……