「え、それってわざとやってるわけじゃあないんだよね……?」

 戸惑い混じりの私の声に、倉持は独特な笑い声を響かせ、私が本来声をかけた相手―――御幸は、頬を引きつらせ、「大真面目だよ」と応えてくれた。若干の声の震えは無視するにしても、このありさまはあまりにも、その、……酷い。
 倉持のようにいっそ笑い飛ばせればよかったのだが、なけなしの私の理性がそれをとどめてしまっているためどうにもならない。……いや、ここは理性云々のせいなどにはしないでおこうか。あまりのありさまに笑えないでいるのだ。私は。

「私、ずっと御幸って完璧超人だと思ってたけど、そんなことなかったんだね……」
「なぁそれって褒めてんの? けなしてんの?」
「そりゃ貶してるよなぁ!!!」
「ちょ、倉持ちょっと黙ってて涙出そうになってきたから……」
「……おい」

 低い声を出しながら御幸はラケットを握る力を強める。
 その姿に私は思わずこんな声をかけてしまった。

「卓球は力を入れても意味はないのよ……っ」
「ヒャハハハハ!」
「倉持お前もうどっかいけよ! つーかはいっそ笑ってくれ」
「え、いいの?」
「やっぱだめ」

 ほらやっぱり。そんな意を込めて卓球台の向こう側、正確には私のラリー相手をしていた御幸を見れば、ばつの悪そうな顔でこちらから視線をそらしている。
 体育の授業、男女混合ってどうなんだろうと思いながらも、気付けば同じクラスの野球部二人につかまり、どういうわけか三人で交互に卓球をやる羽目になっていた。女子と組ませろよ……! とも思ったがこの二人は社交性があまり……いな、全くと言っていいほどない。クラスとのつなぎのためにも彼らと一緒にいるべきかぁ、などとどう考えてもおかしな持論を掲げ、半ば攫われるように彼らと卓球台の準備をし、三人一組で卓球を始めた。
 別に二人で仲良くやってればいいじゃん、だとか、せめてもう一人連れて来いよ、だとかはじめのうちはブチブチ文句を言っていたものの、いざ倉持と二人ラリーを始めてみると思いの外これがまた楽しい。高校に入るまでここまで男子と仲良くなることのなかったわたしは、体育の授業といえば適当な女友達とグループを作り、先生にばれない程度に力を抜いて楽しむものだった。だが、男子には、というか倉持にはそんな意識はなかったようで、終わらないラリーを繰り返す羽目になった。相手が本気でやっていると自分も燃えてくるというもので、まぁこれは単純に私が体育会系ということ起因するのだろうけど、兎に角楽しかった。
 しばらく続けたところで倉持のほうが飽きてしまったようで――こんなくらいで疲れるようなかわいい体力を野球部員はしていない。飽きたのではなかったとしてもせいぜい満足気したというところだろう――、御幸にラケットを渡し、自分は卓球台のちょうど真ん中、審判やれるような位置に立った。私としてはもう少しやっていたかったので、倉持が御幸と交代することに不満はなかった。のだが、御幸はどういうわけか非常に面倒くさそうな顔をした。
 何かあった?と聞こうかと思ったが、それはラリーをしながらでもいいか、と白いピンポン玉をポンと投げ、ラケットにあてた。いままでであれば相手側からコンっと小気味よいおとが響き、ボールが返ってくるところなのだが、御幸の振ったラケットはボールから離れた位置で空ぶった。その時は「あぁ苦手なんだ」と軽く考えていたのだが、「わりーわりぃ」と軽い調子で謝り、今度は御幸が先程の私のようにラリーを始めるべくピンポン玉をポンと投げラケットにあて―――ようとして、残念なことにそれは御幸ラケットにあたらず、コンコンと音を立て転がっていった。このあたりで薄々察していたのだが、私は気付かないふりをして、予備にと持っていたボールをポケットから取り出した。

 そんなことを三度も続ければ、どういうことか分かるものである。

 冒頭に戻り、御幸は倉持にラケットを返すと、「俺はいいからお前ら二人でやってろよ」という。ふて腐れている様子はなかったので、本気でもういいと思ったのだろう。というかやりたくないのだろう。
 そうは問屋が卸しません。
 倉持とアイコンタクト。受け取るな、お前は見学だ。了解ですマネージャー。
 にっこり、寧ろにんまり笑うと、私は口を開く。

「折角だから練習しましょ」

 語尾にハートマークが飛んでいそうなほど弾んだ声をあげた私に、御幸はだつりょくしたのだった。―――あとで覚えてろよ。そんな声が薄ら聞こえたような気もするが……気のせいということにして置こうではないか。



 気のせいじゃなかったと分かったのはその日の放課後。日直の仕事をおえ、さて急いで部活に向わなければと思いながら担任へ日誌を提出し、職員室を出たところで、後ろからニョキっと伸びてきた手につかまりそのまま人気のない場所へ。これがどこか暗い路地での出来事であったならば私も女として叫びもがき逃げようとしただろうが、生憎ここは学校の校舎内、職員室すぐそばである。しかも伸びてきた腕のもちぬしが自分のよく知るおとことあっては、逃げるよりも先に「こいつ、部活に行かず何やってんだ」と呆れてしまうわけである。
 おとこは私をぐちゃぐちゃのミンチにでもしたいのだろうか。そのぐらいの力でぎゅうぎゅう後ろから抱きしめてくる。ただ痛くて泣いてしまいそうだとかそんなことはなく、彼なりに力加減してくれているんだろうなぁと感心する。そんな場合ではないが。

「御幸ぃ」
「…………」

 無言である。無言で彼こと御幸は私を抱きしめる。

「御幸さぁん、御幸一也さぁん。部活始まりますよぉ」

 これでも駄目だ。ため息を必死に飲み込み、首元に回された腕をポンポンと叩く。

「せめて顔見たいんだけど」
「お前は俺の味方じゃなきゃやなんだけど」

 ようやく口を開いたかと思えばこれだ。いや、私がいつあんたの敵になったっていうのよ。
 少し考え、あぁそういうことかと思い当たる。だけどこれ、相当子供みたいなんだが。

「卓球、楽しかったから一也とも一緒にやりたかったんだよ、私はさ」

 ぎゅうと抱きついてくる力が強まった。まったく、この駄々っ子と来たら。
 苦笑にも似た笑みを浮かべる。―――かぁわいいなぁ。この彼氏様と来たら。まったくもう。

「野球をしているときはあんなにかっこいいのに、なんてかわいいんでしょう」

 笑いを含んだ声に、御幸がムッとしたのが空気で分かった。かわいいとはいわれたくなかったらしい。本当にこれじゃぁ駄々をこねる子供だ。
 そう、ニヤニヤと笑っていたのがよくなかったらしい。
 サイドでまとめられた髪をさっと払うと、あろうことか御幸は私の首元に口を寄せた。鋭い痛みはただ唇を寄せただけなどとは言えない刺激を放っており、一気に顔に熱が集まるのがわかった。「ンなっ!」と色気も何もない声をあげれば、するりと私の体が解放された。

「お・か・え・し」

 あろうことか御幸の野郎はそんな言葉を吐くと、小走りでグラウンドへ向かっていった。
 残された私はというと、そんな彼を追うことも怒鳴りつけることもままならず、ただただ「あんの、性悪変態メガネ……っ」と真っ赤になった顔を覆うことしかできなかった。



 その日の部活には遅れての参加となったのは、言わずもがな、である。
20160516 … 最後の傷は私がつける 《title:as far as I know / 黄道十二宮》
 御幸くんがとくに卓球苦手だったらいいなっていうただの妄想。そ れ が ど う し てこ う な っ た