従妹のいづみが、彼女の父であり私の叔父でもある立花幸夫が主宰を務めたMANKAIカンパニーの主催になったという話を聞いたのは、春組の公演まであと少しといったときのことだった。
 正直なところ、いづみちゃんがそういいだしたとき私は「やっぱりなぁ」と思ってしまった。だってあの子、演劇もお父さんも大好きだから、こうなるんじゃないかなって未来は見えていた。従姉妹同士ということでそれなりに交流は続けていたから、彼女がそのときそのとき何をしているかおおよそは知っていたしね。
 しかし、だ。

「この状況は予想できなかったわぁ」
「奇遇だな、俺もだ。……なんでテメエがここにいる」
「気が合いすぎて怖いけど、それ、私のセリフだから」

 額に手を当て、ハァとため息を零せば、私の隣に立つ黒尽くめの男も同じように息を吐いた。気が合いすぎてほんっとうに怖いんだけど、ねぇどうなってんのよ。

「一応聞かせて欲しいんだけど、どうしてここにいるの左京くん」
「俺をそんな風に呼ぶのお前ぐらいだぞ。そっちこそ、どうしてここにいるんだよ」

 黒尽くめのいかにもヤクザみたいな青年……というかリアルヤクザの左京くんこと古市左京は、私の顔を見て呆れ声をあげる。
 そういわれましても私にとって左京くんは昔から左京くんでしかないし、今更古市さんだとか左京さんだなんて呼ぶのはどうにもこっぱずかしい。

「私はいづみちゃんから見に来てほしいって言われたの」

 彼の名前のことは触れず短くそうこたえれば、なるほどなと言いたげに左京くんは首肯した。
 ほら、私が話したんだから次はそっちの番よ、と告げるようにちらりと左京くんの顔を窺えば―――

「入場時間だ」

 そう言ってすたすた劇場へ入っていってしまった。逃げやがったな、と顔を顰めながらも早く入っていい席をとりたい気持ちもあり、その後ろ姿を私も追いかけた。

 それに、彼の姿を見て確信したことがある。

(いづみが言ってたヤクザさんって、左京くんのことだったのか)

 なんとなく予想はついていたが、いづみから名前は聞いていなかったため確信はできなかった。けれど今ここに左京くんがいるということは、彼が劇団に金を貸しているのだろう。そしてここにいる理由は、劇団の様子を見るためってところかな。

 怖い人なんだか優しい人なんだか、これじゃあいづみちゃんは考えあぐねてそうだなぁと考えていれば、左京は席を決めたようだった。

 初日ということからかまだまだ空席はあり、昔の劇場には程遠いなと思いながら左京くんの隣の席へ座れば、彼はちらりとこちらを見た後、面倒くさそうな顔をしてから私から目を逸らした。

「何よ、そんなに私の隣は嫌?」
「ほんっと面倒くせえやつにつかまっちまったな……」

 失礼しちゃうなぁ、と横目で左京を見れば、彼は「何メンチ切ってんだ」とヤクザらしい声を出してきた。しかし左京のことはなんだかんだ言いつつ昔から知っている。そんなことを言われてもあまり怖いと思えないのが事実だ。

(まぁ、長い付き合いとは言っても、こうして顔を合わせるのは暫くぶりか)

 公演が始まる前の、劇場の小さな騒めき。役者たちの登場を待つ観客たち。
 何もかもが、懐かしかった。



 私の父は、MANKAIカンパニーの主催……いや、前主催である立花幸夫の兄だ。
 その関係か、はたまた本人の意思なのか、父はここMANKAIカンパニーの演出や役者の指導を手伝っていた。
 父はよく私をMANKAIカンパニーまで連れてきてくれた。幼いころの私の遊び場といえば、学校や公園といった同年代の友人がいるような場所ではなく、この劇場だった。
 そしてそこで、今隣にいる左京くんと出会ったわけだ。
 始まりはいづみちゃんが彼を劇団へ引っ張り込んだことだったが、父も叔父も、みんなが左京を受け入れあぁだこうだと演劇の指導をしていたのは私の記憶に深く刻まれている。

 彼は中学、高校と上がるうちに劇団とは疎遠になっていき、風の噂で彼がヤクザになったと聞いた時には、リアルヤクザの知り合いかぁ、と吃驚したものだ。けれど、根底はきっと演劇が大好きな左京くんなんだろうなと思っていたから、何も怖いことはなかった。

 というわけだから左京くんとまともに顔を合わせたのは、恐らく小学生以来のこと。しかし、彼は劇団と疎遠になったあともこっそり公演を見に来ていたから、顔は知っていた。かくいう私も大人になっていくにつれ私生活が忙しくなり、劇団に入り浸ることはなくなっていたが、公演だけは見に来ていたので、左京寄りの立場とでもいえばいいのだろうか。―――ちょっと違うかもしれないけど、まぁ、私の心の中だけの話だからよしとしましょう。


 叔父が蒸発したあと、私の生活は変わった。とは言ってもその原因は叔父ではない。
 八年前というと私はまだ大学生で、MANKAIカンパニーに入団していたわけでもなかったから、せいぜい楽しい公演が終わってしまったという感覚だった。
 だから、生活の変化の原因は、同時期に父が体を壊したことだろう。

 昔を思い出していると、不意に左京くんが私のほうを向いた。なぁに、と尋ねるよりも前に、彼が口を開く。

「お前は、幸夫さんが今どうしてるのか知ってんのか」

 昔を懐かしんでいたところでその言葉が飛んでくるとは、あまりのタイミングの良さに笑ってしまいそうだ。

「叔父さんの名義で香典は届いてたけど、顔は見ていないわ」
「……香典?」

 あぁ、そういえば左京くんは来ていなかったか。私の顔を窺う左京から目を逸らしたまま、私は短く言葉を返した。

「父は八年前に亡くなったの。丁度叔父さんが消えるのと前後するころに」
「…………悪い」
「いいの。私も敢えてあなたに連絡をとろうとしなかったし」

 やっぱりヤクザになっても、左京は左京だ。
 しかしこんなしんみりした空気で春組の初公演を見るのもどうかと思ったので、ふと思い出したことを口に出してみた。

「風呂に沈めるって言ったんだっけ?」
「…………なんでお前がそれを」
「いづみちゃんから聞きました。あれ、泡だったっけ? でもどっちにしても意味はおんなじだよね」

 にっこり笑って左京を見れば、今度は彼が気まずそうに私から目を逸らした。
 まったく、人の従妹になにいってくれちゃってんのかしらね。すっと手を左京の頬へ伸ばすと、そのままぐいっと引っ張る。「にゃにすんだ」と可愛らしいことを言ってる左京には威厳も何もあったもんじゃない。その表情に満足感を得て、私は左京から手を離す。彼は私に引っ張られた頬を押さえたまま、「覚えてろよてめえ……」と言っていた。
 けど、冗談のような遣り取りではあるけど、いづみにそんな言葉を吐いたことを許せないという気持ちは本気だ

「それは私のセリフよ。冗談にしてはたちが悪すぎるんじゃない?」

 そういってやれば左京はぐっと口ごもった。きちんと自覚しているのだろう。左京はいづみを可愛がっていた。というより、ロリコンになるような年の差でなくてよかったわねと言ってやりたいぐらいの様子だったのをよく覚えている。だからあの言葉も本気ではなかったのだろう。むしろ、いづみを演劇に本気をさせるために発破をかけたようなものだろう。
 けど、それを言うには左京の職業が悪かった。どう見ても本気にしか見えないのよ、それ。

「次はないよ、左京くん」
「わかってる」

 肯いた左京は、真っ直ぐ私を見ている。嘘ではないんだろうなぁ、と私は小さく肯いた。



 その時、男の声でアナウンスが始まった。もうすぐ、公演が始まる。
 ブザーの音に、劇場に広まる緊張感。

 ―――あぁ、懐かしいな。
 口角が緩く上がっていくのが自分のことだというのに客観的にわかる。

「MANKAIカンパニー、なくならないといいね」

 気付けば、そう小さく呟いていた。誰に言うでもなく、もしかしたら隣の男に言っていたのかもしれないけど、無意識にこぼれた言葉。
 この劇場を潰そうとしているらしい左京に言う言葉じゃないだろうと思われそうだな。小さく肩を竦めると、私は劇に集中しようと顔を引き締めたのだが、

「そうだな」

 囁くような言葉。隣の左京を見れば、彼はこちらを見ず、真っ直ぐ、舞台を見ていた。

 左京はこの劇団を愛しているんだな。そう思うと、なんとも言えない複雑な思いに駆られた。

 ―――やっぱり、初恋なんて拗らせるもんじゃないわ

 ため息が零れそうになるのを飲み込むと、今度こそ私は、春組旗揚げ公演『ロミオとジュリアス』に意識を集中させた。
20170219 ...  想い出なんかひとつあれば十分なのに 《title:as far as I know / 黄道十二宮》
 初めてすぎてものすごく手探りです。
 それからいつも言っていますがタイトルはあってないような感じですがこのお題を見て書いたので許してください(土下座)